果たして、この記事を公開してどれだけ多くの方に需要があるのかわかりません。
昨今、ネタ切れということもあり(笑)珍しく自己開示でもしてみようかなと思いました。
興味のない方は割愛していただいて結構ですが、こんな人間がいるんだぐらいに読んでいただければ幸いです。
ー学生時代ー
東京都目黒区で生まれ育ち、大田区の幼稚園から中学校までの一貫教育の私立学校へ進学しました。
そのため、給食というものを人生で一度も食べたことがないので「給食どんなのだった?」と大学時代に同級生から聞かれるたびに回答に困った日々を思い出します。
小さい頃は野球が大好きで、とにかく野球ばかりやっており、学校の成績は常に下位。
このままではまずいと思われたのか、両親が家庭教師を雇ってくれたおかげで高校はThe普通の高校に進学するものの、校風が合わず半年で転校しました。
転校した高校は、自由な校風でお馴染みの吉祥寺にある高校で某有名ウクレレアーティストの同級生で同じクラスでした。
卒業生にも芸能人が多く、頭のネジが数本外れているぶっ飛んだ方が多い学校でした。
大学は神奈川県内にある公立大学へ進学、当時は何としても国公立大学進学という目標を持っていたので、かなり努力しました。
しかし、大学入学後はアルバイトに力を入れ、学業はあまり力を入れておりませんでした。
恐らく、一番不真面目な学生ではあったもののゼミの教授が大当たりで何度も助けていただき結果的に卒業、しかもありがたいことに社会福祉士の国家試験に合格してしまいました。
現在、全く資格を活用しておりませんが一応社会福祉士でございます。
ー就職から留学ー
実は大学を卒業する直前まで、海外に全く興味がありませんでした。
海外に行くぐらいなら、国内!と思っていた私ですがあることがきっかけで嫌々海外に行くことになってしまいました。
「兄の結婚」です。
現在、兄は再婚しましたが当時初婚の際の結婚式をハワイで行うということで嫌々ハワイへ行くことになってしまいました。
なぜわざわざ飛行機に何時間も乗らなきゃならないんだ、と思いながらも仕方がなく渡航。
実際に行ってみると、良い意味でも悪い意味でも日本との違いに衝撃を受け、海外に目が覚めてしまいました。
「あの刺激を味わいたい」と何故か突然卒業前に海外一人旅を考えました。
当時は英語も中国語もしゃべれない私でしたが、台湾なら一人でも行けるのではないかと考え、急遽台湾一人旅を予約してみました。
初めての海外一人旅、期待と緊張が交差する中で台湾に降り立った時の刺激が今も忘れられないぐらい鮮明に覚えています。
英語もしゃべれない私に対して、皆さん優しくしてくださり、そこから台湾が好きになりました。
その後、就職してからもマレーシアやブルネイ、中国、フィンランド、エストニアなどなど様々な国へ渡航してみましたが一番好きな国が台湾でした。
何気なく日本で仕事をしていく中で、日本社会の生きにくさを痛感します。
顧客第一主義、同調圧力などなど日本の悪い面ばかりに気づくようになり疲れてきてしまいました。
「台湾人になろう」
社会人になって1年半後、急にこんなことを考えました。
台湾人になるためには中国語を勉強しよう!ということで、仕事を辞めて留学を考えました。
当時、両親に相談する際怒られるのではないかと緊張したことを思い出しますが、私の両親は比較的変わった考えを持っているので「30歳までなら好きにしていいんじゃないのか」とありがたいお言葉をいただきました。
条件としては、資金援助一切なしで全額自己負担ということで当時手元にあった200万円を使って台湾留学を決めました。
決めた後の行動力は自信があり、台湾留学を扱っている業者の説明会に突然参加しました。
渋谷の変なビルで開催された説明会で、今思うとよく飛び込んでいったなと若かりし頃の自分を褒めたいです。
その場で手続きを行い、台湾大学語文中心へ1年間の留学を決めました。
ー台湾渡航ー
年末に仕事をやめ、1カ月ちょっと友人のコンビニでアルバイトをさせてもらいました。
コンビニ経験0の私でしたが、コンビニ店員さんの大変さを身をもって体験、カスハラ気質の客や逆に神客など様々な人と出会うことが出来ました。
数か月だけでしたが、あのコンビニでの経験は言葉にはできない人生経験となりました。
家族に見送られ、台湾渡航当日大量の手荷物を持って台北へ。
事前に契約をしていた家へ出向き、現地の日本人向け不動産業者に協力をしていただきながら入居手続きと銀行口座開設、SIMの契約を行いました。
余裕をもって入学1週間前に台湾へ渡航をしていたので、学校が始まるまでに生活用品などを買い揃えます。
楽しい台湾生活スタートと思いきや、トラブルが多発です。
送ったはずの荷物が家に届かず、着替えがなかったり外国人登録手続きでトラブルがあったりと多くの問題に直面しました。
英語もしゃべれないので、苦労しながら問題を解決していくものの、気付くとストレスで体重が10キロも減っていました。
ただ、あの時死ぬ気で中国語を勉強してからこそ日常生活を営む上では困らない程度に話せるようになりました。
人間、極限の状態にいると本気で取り組むことが出来るので、留学はお勧めです。
ー就職ー
1年ほど台湾大学語文中心で中国語を勉強し、いよいよビザのために仕事を探し始めます。
大した能力のない私が台湾でビザを手に入れるために、最も簡単な就職先が日本語教師です。
未経験ですが、日本人というだけで給料は安いですが採用してくれる企業が多くあります。
ありがたいことに、大手の日本語学校に就職させていただきました。
今思うと、良い経験でしたがこちらの学校が想像以上に過酷な職場環境でした。
詳しくは書きませんが、もう二度と働きたくありません。
約2年間在籍させていただき、台湾で働くことにうんざりしてしまいました。
この時、既に「台湾人になる」という夢は消え去り、日本に戻ろうかなと考えるようになりました。
このタイミングで、ちょうど日本語学校に通っていた現在の妻と出会い、交際しました。
退職後、約半年間仕事をせずに台湾に滞在しておりました。
一応、文章を書くライターとして6万円ほどの収入がありましたが、基本的には妻にお世話になっておりました。
ー日本帰国ー
3年半の台湾生活を終え、日本に戻ってきました。
ちょうどコロナの1年ほど前です。
帰国後は、大手企業に勤め、現在の職場に転職しました。
いつまで今の職場に在籍しているかわかりませんが、いずれは自営業として自分で何かを始めていきたいと考えています。
そのための大雑把な計画は考えていますが、うまく行くかわからないので可能な限り予防線を準備するためにもネットである程度稼げる環境を確保できればなと考えています。
ー今後ー
私の性格的に、組織に所属して働くということが出来ない性格です。
とにかく、人間関係を築くのが苦手な人間なので組織に所属するのではなく自分で作る環境で働いていきたいと考えています。
子供がいるわけではないので、夫婦二人で生活できる程度の収入があれば良いので地方で細々と生活していける程度の収入があればなと考えています。
ざっくりとではありますが、久しぶりに私個人の話をさせていただきました。
こんな弱小ブログではあるものの、若干の収入があります。笑
皆様のアクセスが私の副収入につながっていくので、今後も応援していただければ幸いです。




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